
荷物をホテルに置き、高度順応を兼ね、周辺の観光とピークハントに出発。まずは、シャンボチェの丘に来たら定番と言われる、エベレストを見ながらお茶をするために、エベレストビューホテルへと向かった。
ホテルから出て少し行ったところで、改めてエベレストがガッツリ見えるビューポイントへ到着した。早速写真を撮る。

こんな道をしばらく歩くと

ガッツリエベレストビュー
中央右側奥で
雲を右側にたなびかせているのがエベレスト

360度グルっと回って撮った写真を
パノラマにしてみた
あまりうまく作れていないが
360度ぐるりが高山ということは
おわかり頂けるかと思う
(写真クリックで拡大)

更に近づいてくる!?エベレスト

アマダブラム(右端の山)
も見えてきた
アマ ダブラムはネパール語で
「母の首飾り」の意味らしい
ただ、ラクパやリンジがいう
この時のアマダブラムは
自分には「浜田プラン」と聞こえていて
後にそれがアマ・ダブラムだと
調べて分かるまで
「浜田プランってなんやねん?」
と己に突っ込んでいたのだった

この山はクンビラ
なお、画面中央と左の草原には
この写真では小さいが
ヤクがいる

近づいて撮ったヤク
大きいので、ちょっと怖い
ラクパからあまり近づいては
いけないと言われた
確かにヤクに「来たらやるぜ」的な
警戒している感があった
お腹辺りから下に生えている
長いフサフサの毛が特徴
この長い毛で寒さを凌ぐらしい

ホテルエベレストビューのすぐ横にある
ヘリパッド
ホテル宿泊者だと思われる
ブルジョワジー!?が
このヘリに乗ってルクラ方面へと
飛び去っていった
それにしてもヘリパイロットの腕が
めちゃいいのに驚いた
着陸が正にピンポイント
この写真でも
ヘリのブレード直径と
同じくらいの広さの石が引いてあるだけの
ヘリパッドにピッタリ降りていた
そして離陸時もメッチャ操縦が
スムーズだった
ラクパなどに話しを聞くと
空気も薄く天候も急変する
このあたりで飛ぶヘリパイロットは
腕の良い経験豊富なベテランばかりらしい
そんな訳で、ヘリパッドに発着するヘリを見学した後、エベレストビューホテルに到着した。このホテルは日本人が経営者らしく、エベレスト街道界隈でトップクラスの宿泊料金を誇る高級ホテルとして有名だ。
実はお父さんはここに泊まろうとしたようだ。だが、現在は経営している日本の旅行会社のツアー客か、旅行代理店経由の団体ツアー客しか受けていないということで断念したらしい。
今ネットで調べてみると、円安の影響もあると思うが、一泊2食付で6万円前後と書いてあった。「4日も泊まれば、二週間近くある宿&2食付+ガイド&ポーター付きのエベレストベースキャンプ往復ツアー代より高いやないかい・・・」と、オフシーズン近くになると、安い宿であれば食事さえすれば宿泊費はただにしてくれるところすらあると知っていたおっさんは驚愕したのだった。
そんな高級ホテル、エベレストビューに入ろうとした時、ドアの向こうから欧米人の女性が外に出ようと歩いてくるのが見えた。海外ということもあったので、ドアを開け、その女性から先に出てもらい、更に妻も先に行かせた上で、「海外やし、レディーファーストなるものをやってみたわ」と自慢げに言ったところ、後ろから「オー、ジェントルマン、それは紳士でしたね」と言う日本語が聞こえてきた。びっくりして見ると、どでかい欧米人の兄ちゃんが笑顔で追い越していく。
「日本語なんか誰も分からんと思って言うたんやけど、分かる人いたとかメッチャ恥ずかしいな」と思いつつ、「日本語分かるんですね」と言うと、「長野の白馬で働いてるんです」と兄ちゃんは言った。その長身と風貌から「スキーインストラクターとかかな?」と思ったが、それを聞く間もなく、歩みの早いその兄ちゃんはあっという間にオープンテラスの方へと消えていった。
「かなり恥ずかしかったけど、まあ、メッチャ毒吐いたのを聞かれるよりは良かったな。海外やからって油断しきってるといかんなあ」などと思いつつ、自分達もオープンテラスへ。そこには、ホテルの名に恥じないエベレストビューが思いっきり広がっていたのだった。

エベレストビューテラスからの絶景

お茶を飲みながら
エベレストビューを満喫できる
午前中早めだったが
テラスは欧米人・アジア人等トレッカーで
いっぱいだった
ちなみに、このテラスは宿泊客じゃなくても
カフェ使用で入ることができる

エベレストのアップ
望遠なので一つの山のように見えるが
水平の尾根は手前にある別の山(ヌプツェ)の尾根で
エベレストはその山のはるか奥にそびえている
混んでいたのもあって、頼んだ飲み物はネパールあるあるで中々来ず、僕達はかなり時間のんびりこのテラスで景色を楽しみ、会話を楽しんだ。
あまりの素晴らしい快晴に、天気が良くて本当に良かったなという話しにもなったのだが、そんな中、ラクパが二週間ほど前は普段ない雪が降って毎日悪天候で、このあたりも20cm程雪が積もって景色どころではなく、寒いわトレッキングはできないわで、その時来た自分がサポートした日本人ツアーの人達は、途中で予定を切り上げて日本に帰っていったという話しをし、その時に撮った写真も見せてくれた。このホテルの近くでメッチャ雪が積もっている写真がそこにはあった。
そういうと、日本を出る前にツアー会社からの現地情報で、出発一週間くらい前に、カトマンズからルクラへの飛行機が5日間連続で飛んでいないという情報を貰っていた。更に現地では雪が降り、悪天候が続いているという情報を聞いて、かなり不安になったことを思い出した。
その時の悪天候の後なので、今度は日々、快晴が続いているのかもしれないなと思いつつ、日程の設定についてはほんといい時に当たったなあと皆で喜んだのだった。
山での悪天候は、眺望も悪いし、歩きにくいし、濡れたり汚れたりするしで色々と辛い。今回のこの快晴の天気は、昼間暖かく、景色は良くで本当にありがたかった。
お茶を飲みながらエベレストビューを満喫した後、クムジュンの村へと向かった。村ではお寺に参拝して、昼食をとる予定だ。シャンボチェの丘から、少し下ったところに村があるのだが、その途中、眺望の良いところで写真を撮っていたところ、近くにいた日本人らしいおじさんに声をかけられた。
「どこまでいかれるんですか?」とおじさんが聞いてきたので、「クムジュンの村へ行って、その後クンデピークに登る予定です」というと、おじさんは寂しそうな顔で「僕は高山病になってしまってガイドに今日はじっとしてろと言われて、置いてきぼりで一人なんですよ」という。「体がむくんでしまって調子が悪いんです」と言うおじさんの顔を見ると、確かにメッチャパンパンだった。
ただ、突然そう言われても、掛けられるいい言葉が思い浮かばない。団体ツアーで高山病だと置き去りなんだなあとか、ちょっとウロウロするのはいいんかいとか、ここじゃなくてナムチェバザールまで降りたりせんでもいいんかいとか、色々とつっこむ言葉は頭に浮かんだが、そんなことが言える訳もなく、「それは大変ですね」とか通り一遍のねぎらいの言葉しか言えず、「それでは」とか言ってそそくさと辞去したのだった。
先行するメンバーに追いついた場所で、この日目指していたクンデピークが見えた。まだかなり遠く、それに丘だと聞いていたピークも結構高い。エベレスト界隈は山が高いので、丘という名目でもスケールがでかく、日本だと低山くらいの高さがある事は普通だった。シャンボチェの丘も登ってみたら全然丘じゃなくて、山だったし。
「これはお父さんは、昨日の疲れもあるので多分行く気は無いだろうな」とすぐに思った。そこで、「あれ、結構遠くて高いですし、それにホテルで見た所よりエベレストからかなり後ろに離れてますけど、行きますか?」と聞くと、やはりあっさり「あそこには行かない」という返事。そんな訳で、クンデピークに行く予定は早々にキャンセルになったのだった。
その後、丘を降りてクムジュンの村へ。ナムチェと違って旅行者向けの沢山ひしめき合うように土産物屋や飲食店があるわけでなく、素朴なシェルパ族の人の日常が見れるような村で、静かでとてもいいところだったのだが、それでも村の中央部に数軒は、旅行者狙いの露店系土産物屋や宿、それに併設されたレストランなどがあった。
一軒の露店で結構な数の帽子を売っているのを見た妻が、出発する前からネパールで買うと言っていた念願のニット帽をここで買うという。ナムチェやルクラ、カトマンズの方が多分安いと思ったのでそう進言したが、「高度も上がって寒いし、すぐ使いたいからここでいい」と言って、店のおばちゃんの言い値600ルピーを500ルピーに値切って購入し、すぐさまかぶってなぜだか店のおばちゃんと一緒に写真を撮ってご満悦。おとうさんも「なぜここで?」と思ったのだが、ヤクのぬいぐるみを買っていた。
更に進んでいくと、広場のようなところがあった。そこでは二頭のゾッキョが角を突き合わせて喧嘩というか力比べというか、グイグイと押しあっていた。別に荒ぶってはいなかったので、ちょっとしたじゃれ合い程度だったのだとは思うが、それでもでかい生き物がグイグイと押し合いへし合いしているのはなかなかに迫力があった。

広場の手前の景色
はためくタルチョーが美しい
広場の端には仏塔があった
その広場の先にあった仏塔のすぐ近くにあったレストランで、昼食をとることになった。クンデピークまで行かないことになり、時間の余裕がたっぷりあるということで、ここの昼食はかなりゆっくり時間を取ってのんびりすることになった。

レストラン Stupa inn 内部
(ストゥーパ=仏塔)
明るくてきれいなレストラン
写真左は土産物を見る筆者(見るだけ)

ランチメニュー
この時頼んだのは
チキンダルバート 900ルピー(筆者)
シェルパシチュー 650ルピー(妻)
ベジオムレツ 600ルピー(お父さん)
なおこのツアーでは3食共に
食事とソフトドリンクについては
それぞれ一品ツアー代に込みだった
ネパールにしてはメッチャ高い価格だが
これは日本の山でもよくある
「山価格」だからだ

妻が頼んだシェルパシチュー
(野菜たっぷりシチュー)と
チキンダルバートを食す筆者
筆者は毎日ほとんど昼夜はダルバート
(ダルバート=日本の定食的な感じ)
店によって味もおかずも違うので
全く飽きることはなかった
さて、ここでの昼食が終わっての、のんびりティータイムで、お父さんから「ヘリコプターに乗って、エベレストを見に行きたい」という爆弾発言が飛び出す。そもそもカトマンズに戻ってから、飛行機でもヒマラヤ山脈遊覧ツアーに行ってエベレストを再び見るという予定もあったので、「どんだけエベレスト見たいねん」という事で、最初は冗談だと思っていたのだが、ガイドのラクパに詳細について聞き始めたので、本気な様子だった。
そしてさすがはせっかちな男、ヘリに乗るのはもう決めたと宣言し、ラクパに手配を依頼し始めた。「マジか!」心から思った。
しかし、それだけで終わらず、お父さんは更に旅行行程の大幅な変更まで提案し始めた。「ヘリに乗った日に、そのままルクラまで飛んで帰りたい」と。これまた爆弾発言だ。おいおいおいおい、俺が帰路で楽しみにしていたナムチェバザール観光は???「マジか!!」再び思った。
しかしこちらは、基本おつきのものとして来ているサポーターなので、お父さんの希望は叶えなくてはいけない。ただ、ヘリに乗ってその日にそのままルクラまで戻るとなると、帰路の行程が大幅に短縮される。ルクラからカトマンズへ戻る日程が決まっている以上、その余った日程をどうするかを考えなくてはいけない。
「それにしてもお父さん、帰り歩くのが余程嫌だったんだなあ」と改めて思うと同時に、「どんだけエベレスト好きやねん」とも強く思った。どうも本当に、お父さんはエベレストを見るという、それのみが目的で、今回ここネパールに来ているようだ。改めて聞くと、帰りのナムチェの観光とか、全然興味がないと言うのである。
登りと下りでは見える景色や感じ方も全然違ったりするので、帰路の風景やトレッキング、そして前述の再度のナムチェバザール泊も楽しみにしていたので、正直なところかなりがっかりしたが、しょうがない。(お父さんの体力の問題もあり、帰路はナムチェ近郊で二泊を予定し、一日はレストデイということで丸々フリータイムで各自好き勝手に楽しむという予定になっていた。自分は、ラクパに聞いたネパールのモンベルな感じのブランドですという、シェルパブランドのショップに行こうかとか、地元の人が行く飯屋に行こうかなどと考えていて、ナムチェへの帰還をかなり楽しみにしていたのだった)
お父さんにとっては、ここまでの行程でもかなり体力的に厳しかった面があったのであろう。もちろんこの後も、更に先へと進む行程がある。更には、膝に爆弾を持ち、下りになると特に膝が厳しく痛むことが多いお父さんにとって、帰りの3日ほどの下り続きは苦しいものになるに違いない。
それに、ヒラリーブリッジでのお父さんの動きを見ていると、どうやらかなりの高所恐怖症である様子だった。山の下りは登りより遥かに高所の恐怖を感じさせるし、更に膝までも痛いとなれば、そんな辛い目にはあいたくないと思うのも、もちろん分からないではなかった。
実際、後にお父さんに聞いてみると、ヒラリーブリッジについては二度と渡りたくないと思っていたとのこと。それも多分、ヘリで戻りたいという大きな理由の一つだったのだと後になって知ったのだった。
そんな訳で、急に大きく予定が変更されることになり、ラクパは、ラクパを雇っている会社の社長に、手配の連絡をし始めた。日本のツアー会社は、提携しているネパールのガイド会社にトレッキングガイドの依頼をしているらしいことは、今回こちらに来てラクパと話しをした時に分かっていた。
ただ、日本の仕切りであるツアー会社を飛び越えて直で交渉をするのは、お父さんも旅行関連業種にいたのだから、ややこしくなると分かっているはずなのに、せっかちゆえに事後報告で大丈夫だろうと突き進んでしまったのである。
このせっかちさは、この日の夜、実際に色々とややこしいことになって、結局プランの練り直しや大きな時間のロスという形で戻ってくることになる。これについてはまた、次回以降に書くことにする。
という事で、お父さんの爆弾発言の後しばらくの間、なんだかんだどうするこうするで色々相談したり、手配したりでわーわーなったのだが、とりあえずヘリに乗るということは決定したので、その押さえの可否などが夕方に確定した時点で、改めて最終的な行程などを決定するということになった。
そうしてとりあえず一段落ついた後、僕達はクムジュン村にあるお寺「クムジュン寺院」へと向かったのだった。